あづみ野エフエム開局
11月24日にあづみ野エフエムが開局しました。
あづみ野エフエムがある会社に勤めている母がステッカーをもらって来ました。
直径12㎝ほどあるシールで、可愛いオリジナルキャラクターが描かれています。
左が「あづちゃん」で、右が「みのくん」です。
あづちゃんとみのくん・・・あづみの・・・なるほど。。
地元の地域情報が聞けるので、これから楽しみなラジオです♪
皆さんも76.1MHzにチューニングを合わせて聞いてみて下さい。
有明の家 現場状況 25
外部の左官仕上げが完了し、足場解体前の検査を行いました。
竪樋を取り付けると足場の解体が始まって来ます。
内部は和室の聚楽壁の下地モルタル塗が終わりました。
台所はシステムキッチンの取り付け工事も終わりに近づいてきました。
2階からクロス貼り下地処理のコーナーガード・ジョイント部のネット貼りが始まっています。
夢創り工房「小林建築設計事務所」
有明の家 現場状況 24
外壁の最終仕上げの前に、クラック防止用にネットが貼られてきました。
今月中には壁が仕上がり、足場が外れてきます。
内部はほぼ天井・壁が張り終わり、大工工事は今週に完了する予定です。
この建物唯一の和室(客間)です。
床の間の違い棚も取り付き、和室らしい雰囲気がでてきました。
木部の塗装工事が始まりました。
和室部分はワックスで、その他はオイル拭きが基本となります。
夢創り工房「小林建築設計事務所」
渋田見の家(古民家再生) 現場状況 4
屋根が葺き終り、腰屋根部分はサッシも取り付き漆喰の壁も塗られています。
2階から筋違が取り付き、柱と梁の引き抜き金物や筋違プレートで固定されてきました。
本日、この部分の(筋違ヶ所及び金物の種類)確認をしました。
古民家独特の落ち着いた雰囲気がすでに感じられる建物です。
夢創り工房「小林建築設計事務所」
有明の家 現場状況 23
各部屋の壁のボード張りが済んだところから、天井下地が組まれています。
LDKの天井板(レッドウッド)が張られてきました。
梁は化粧材として現され、柱も真壁で見えてきます。
書斎コーナーの机と吊り棚も取り付いてきました。
夢創り工房「小林建築設計事務所」
あづみ野池田クラフトパークの風景~秋~
明日、池田町創造館でおこなわれるコンサートの準備に行って来ました。
クラフトパーク内の木々が紅葉していて綺麗でした。
あづみ野池田クラフトパーク内の最上部にある建物が池田町創造館ですが、ここ創造館の場所の標高は634mで「東京スカイツリー」と同じ高さなのです。
ベンチもあったりして、ゆっくり景色を楽しむことができます。
明日は晴れて北アルプスが綺麗に見えたらいいな~
有明の家 現場状況 22
外壁のモルタル下塗が終り、今日から軒樋の取り付けが始まりました。
居間・食堂の出窓が完成しました。
モルタルの下塗りをする前に木部のキシラデコール塗を済ませています。
手の込んだところの造作もいよいよ最終段階を迎えます。
夢創り工房「小林建築設計事務所」
七尾美術館
石川県七尾美術館
七尾市は桃山美術の画聖 長谷川等伯の生誕地であることから、等伯の作品を大型ハイビジョンで鑑賞でき、講演やコンサートが可能なホールを持つ能登唯一の総合美術館となっています。
屋根・壁は緩やかな曲線で構成され、ピロティーの円に沿って正面玄関まで誘導してくれます。
エントランスホールが2階で、第1展示室(池田コレクション・能登ゆかりの作家)、第2展示室(企画展)から1階に誘導され第3展示室(市民ギャラリー)へと。
展示室から展示室への移動で前庭の景色が楽しめる息抜き空間(休憩コーナー)も用意されています。
エントランスホール
7つのドームの屋根が内部にも表現され、Rのやわらかな曲線が温もりのある空間構成となっています。
展示室に続く廊下には、休息できるベンチを設けています。
ちなみに設計は内井昭蔵で、他にも高岡市美術館も手がけています。
「所長」
能登島ガラス美術館
先週末、石川県能登の美術館巡りをして来ました。
石川県能登島ガラス美術館
能登半島の七尾湾に浮かぶ能登島。
その中の小高い丘を上がって行くと宇宙ステーションのような奇抜な建物が目に入ってきます。
ガラス芸術専門の美術館で、世界各国の現代ガラス作家作品を中心に展示されいて、3つのゾーンに分かれた造り(形が全て違う)となっています。
3つの展示ゾーンを繋いでいるのが渡り廊下で、この建物を特徴づけています。
手すりは漆塗です。
それぞれの展示室にたどり着くまでの空間構成が豊かで、心を躍らせてくれます。
また、展示室内部もそれぞれのゾーンに工夫された構成となっていて楽しめました。
別棟の左側の丸い建物は、ミュージアムショップ&レストカフェになっています。
レストカフェ内部
この部分が宇宙船のイメージをさせるのでしょう。
能登島の町おこしとして建てられたため、地域の繁栄を願って設計されたとか。
設計は毛綱毅曠
「所長」